気が付けばホノルル動物園前の大観衆の前にいた。
79年晩秋、その方は片田舎までわざわざ出向いて来られた。『意地悪く見にきましたよ』と少し播州訛りでおっしゃった。当時SNO-LAのプロトタイプがなんとか完成したところであった。フレームむき出しのマシンとその雪を前に その方は近頃にない清潔なアイデアと微笑まれ『年内受注している仕事、全て断れますか。デビューが肝心。ストーリーが必要なのでハワイで雪を降らせましょう。無論クリスマスイヴ』このような内容をお話しされたと思う。スケールの奥深さにビックリ仰天。
残された期間はわずか45日、先代社長(須鎗敏夫 2007年7月没)はマシンの改良に昼夜没頭し 何とか人様の前に出せる外観と降雪の際の飛距離を確保した。その間にその方はスポンサー探しに奔走してくださった。見ず知らずの何の利害関係もない私どものために。だが、なかなか適切なクライアントが見つからず マシンの出荷が差し迫ったある日、東京の事務所よりその方から電話があり、社長の個人口座に大金を振込んで頂いた。感謝という言葉だけでは薄っぺらくて表現できない。当時サラーリマンをしていた私も地元新聞の派手な見出し『ハワイで降雪』に気が引けながら会社を休みマシンの仕上げに合流。
気が付けばホノルル動物園前の大観衆の前にいた。
小谷正一先生のプロフィール(1912〜1992 兵庫県姫路市出身)
戦後のマスメディアを切り開かれた伝説の大プロデューサー。その功績は、大阪毎日新聞入社後、パシフィックリーグの創設、新日本放送(MBS)大阪テレビ放送(ABC)の開局、その後、電通でラジオ・テレビ局長を務め、大阪万博は住友童話館.電力館のプロデュース、今宮戎神社の福娘等、また新聞の4コマ漫画を最初に考えたのも小谷先生。 際立った先見の目は早くからディズニーランド誘致に熱意を持ち、その生き様は井上靖の出世作 芥川賞受賞作品『闘牛』及び『黒い蝶』のモデルとして有名。
最近、ディズニーランド誘致の話題作品「エンタメ」の夜明け、ディズニーランドが日本に来た!が出版された。
SNO—LAをこの世に出して頂いた小谷正一先生とご紹介頂いた放送局の故小谷昌一様(同姓同名です)に深く敬意と感謝の意を表します。
小谷先生が、度々お話しくださった『拍手喝采』を現場でいただけるよう心に刻み邁進いたします。
株式会社スノーラ 代表取締役
須鎗 孝康